おオリックス・バファローズの期待の新人、宮城大弥さん。
8人兄弟の7番目で、とにかく貧乏だったというのです。
一体どんな内容だったのでしょうか。貧乏の原因も調べました。
ぱっと読める目次
宮城大弥の貧乏の原因は父親の事故
宮城大弥さんの父親の亨さんは
若い頃に交通事故にあい、後遺症で左手が不自由になってしまったのです。
そのため、定職に就くことができず
母親が両親2人、兄弟8人の家族を養っていくことに。
【顔画像】宮城大弥の兄弟は8人
宮城大弥さんの兄弟は
- 父親
- 母親
- 兄が3人
- 姉が3人
- 妹1人
がいます。
お父さんとお母さんの画像はこちら
引用:Twitter
一番下の妹さんも一緒に写っていますね。
拡大したのがこちら
とても可愛い妹さん!
お兄さんの活躍がとても嬉しいことでしょう!
宮城大弥の貧乏エピソード
では、宮城大弥さんの貧乏エピソードを見てみましょう。
エピソード①700円のグローブ
宮城大弥さんの初めてのグローブは、
ビニール製の700円グローブでした。
スポーツ店の1番安いグローブも買えず、お父さんが必死で探してくれたとか。
引用:http://sekaihanazoni.com/
嬉しくて毎日枕元にグローブを置いて寝ていた大弥さん。
引用:http://sekaihanazoni.com/
ですが、お父さんがグローブが柔らかくなるようにと電子レンジでチンして溶けてしまいます。
引用:http://sekaihanazoni.com/
とても悲しい出来事にも
思わず泣きそうになるのをぐっと堪え、
「グローブが消えちゃった。パパ、本物の魔法だね。」
と答えたとか。
子供ながらに家の状況を把握していたのでしょう。
その上で、父親も悪気がなかったことも汲み取るというのはなかなかできることではありません。
エピソード②ツギハギユニフォーム
宮城大弥選手が小学校で少年野球に入っていたときのエピソードです。
貧乏なので当然、
ユニフォームを買い換えることなど不可能。
そのため、破れてしまった場合は布でツギハギして使い続けていたそうです。
引用:http://sekaihanazoni.com/
最大6枚ものツギハギがあったときの
実際の画像はこちら
引用:http://sekaihanazoni.com/
それでも文句を言わずと思うとかなり泣けてきますね。
「自分でもちょっと動きづらかったし、重い感覚もありました。」
と語っています。
エピソード③お湯カレー
家計が苦しいときは
ルーとご飯のみ。
ルーをお湯で溶いて食べていたそうです。(もちろん具はありません)
エピソード④水道が止まる
水道料金を払うことができず、止まってしまうこともしばしばあったそうです。
そんな時は
ヤカンに残っていた水を沸かして、宮城大弥さんの体を拭いてくれたそうです。
引用:http://sekaihanazoni.com/
当時のことについて、宮城選手は
「苦しいときは、下ばかり向いても意味がないので、苦しい時こそ笑って前を向こうと思いました。」
と語っています。
環境に文句を言うことなく、そのときの最善にとにかく取り組むのが野球の成果に繋がっているのかもしれません。
エピソード⑤遠征費用を盗んだと噂
宮城大弥選手の遠征費を、母の礼子さんは必死に集めます。
監督は宮城家を気遣い
「少し遅れてもいいんですよ」
と言ってくれます。
でも、その監督とのやり取りを聞いていた他の母親たちは
「お金ないってまさか盗んだんじゃないわよね」
と噂を広めます。
エピソード⑥チームメイトからいじめ
小学校3年生の頃には、家がかなり貧乏なことは知れ渡っていました。
ツギハギのユニフォームを着ている宮城大弥選手に
「お前新しいユニフォーム買わないの?」
「そんなボロっちいユニフォームの奴がいると、俺達が恥ずかしい」
と言われてしまいます。
笑顔が消えていく宮城大弥選手に父・亨さんは
「うちが貧しくって、お前にまで迷惑かけてごめんな。
でもな、悪く言うチームメイトを許してあげろ。
チームメイトの代わりはいないんだ。
お前が投げているとき、誰がバックを守ってくれるんだ」
さらに
「それには、お前には野球がある。
誰にも負けない野球の才能があるんだ」
この言葉で、宮城大弥選手は前を向きます。
お母さんはどんなに苦しいなかでも
「笑顔」を忘れずに家族の宝物を大切にしてきました。
その想いは、宮城選手にしっかり伝わっています。
宮城大弥のプロフィール
- 名前:宮城大弥(みやぎひろや)
- 生年月日:2001年8月25日
- 出身:沖縄県宜野湾市
- 血液型:A型
- 身長:172cm
- 体重:78kg
- 変化球:スライダー・カーブ・チャンジアップ
- 投手フォーム:クロスファイヤー
- 年俸:870万円(2021年)
特殊的な投球フォームが注目されています。
- トルネードをあっさりしたような
- 1塁側に踏み込み
- 右バッターの内角への進入角がヤバい
- 制球力も良く
- スカウトマンの評価も高い
とかなり注目されています。
経歴
- 4歳の頃に、散歩中に野球を見てなんとなく野球をやってみたくなったのがきっかけ。
その後、実力を身に着け
- 小学校で志真志ドラゴンズに所属。
左投げだったのを、5年生のころ左肘を剥離骨折し右投げに変更
- 宜野湾市立嘉数中学校で宜野湾ポニーズに所属。
中学2年生の頃に左投げに戻る。
投手として139キロを投げることができた
中学3年生でU-15日本代表に選出
- 名門校・興南高校に進学
1年生、2年生で甲子園出場
3年生の夏は沖縄予選決勝で敗退。
U-18 日本代表に選出
確実に実力のある宮城選手。
今後の活躍に目が離せません。
【顔画像】宮城大弥の貧乏は交通事故が原因?まとめ
貧乏の中、一般家庭とは全く違う環境にいながらプロ入りしてしまうほどの努力家の宮城大弥選手。
強い精神力、逆境に打ち勝つパワーは、まさに宮城選手の生き様ではないでしょうか。