お笑い界だけにとどまらず、映画監督としても世界的に評価されているビートたけしさん。そして、子どもからお年寄りまでを笑いに引き込む日本一のコメディアン・志村けんさん。
このお二人の思考、仕事に対しての向き合い方などを調べてみると我々の「教育」にも当てはまるのが分かりました。
志村けん、ビートたけしから学ぶ「教育」とは
志村けんから学ぶ教育
志村けんさんは、多くの方々に慕われる人望の厚い方で、なおかつ温かいお人柄ですので毎年のお誕生日会には老若男女様々な人がお祝いにかけつけます。
そんな志村さんが大切にしていることは
- 人のことは悪くとやかく言わないことに尽きる
- 人にみえる努力は努力じゃない。努力は人にみせるものではない
- いいものが生み出せる時って、あの人にきれいなものをみせたいと本気で思えるとき
- まずマネができないとダメ。マネができるようになって、そこに自分を入れていくと、新しいものが生み出せる
- ベタをやり続けること。そして、たまに裏切ること
内容は日常生活に心がけていることから、仕事に対してまであり、まさしく志村けんさんの生き様が詰まった言葉ですね。
これを私達の家庭、教育に当てはめてみると
- 家庭で悪口は言わないこと
- 他人に見せようと思っているうちは努力ではなく、自然と打ち込めるような真の努力をすること
- 家族に喜んでほしい、見てほしいと思う気持ちが、何かを生み出し前に進むエネルギーになること
- 子供はまず親のマネをして、そこに子供の個性が重なって、人間が形成されていくこと
すべて当たり前のように思いますが、これを実践しているか。というところですね。
続いてビートたけしさんです
ビートたけしさんから学ぶ教育
ビートたけしさんは幅広い知識はもちろん、芸術・文化・映画制作に関しても長けておられます。
そんなビートたけしさんが大切にされていることは
- 出来事をプラスに変える変換力
- 相手のほしい言葉をかけれるように察知力をつける
- 受け取る側に解釈をゆだねて完成させる力
- 逆の言葉を2つ並べて惹きつける力
- 存在としてのカリスマ力
どんな出来事があっても笑いなどプラスに変える力があって、その発想力や破壊力がビートたけしさんはピカイチです!
辛いときこそ、ベクトルの方向をどう変えていくかは全て自分次第なのです。
またビートたけしさんは相手のことをよく観察しておられて、相手が悩んでいる時も察知されるそうです。これは日々の努力の積み重ねの表れですね。
本を書くとしたら、タイトルが大事。皆が思っていることと真逆のことを言うとよいのでは。タイトルの中に、逆の言葉を2つ入れて並べること。例えば、「この優良株は儲からない」とか「飲みたくない薬」とか。
そんなアドバイスを頂きました。
本に限らず、広告などのキャッチコピーや日常会話など、人の関心をひくテクニックとして、広く通じることのように思いました。
確かに、真逆の概念をもつ言葉が一つのフレーズに並ぶと、「え、どういうこと?どっちなの?」と一瞬混乱しますよね。
ストレートに受け入れるのが難しいからこそ、自分の頭で想像力を働かせて考える必要がある。
だから、きっと人は気になって仕方なくなるのでしょう。
人がどう受け取るかまで見越して、言葉を投げかける。
ライブドアニュースより
このように受ける側に判断をさせて、その中に真逆の言葉を盛り込むと、人は気になってしまいますよね。
こういった事を私達の「家庭」「教育」にあてはめると
- 発想次第でプラスの見方に変えられると親が教える。一つの経験として捉えさせること
- 子供が何を求めているか親が察知して、子供のそばでほしい言葉をかけてあげること
- 子供に解釈をゆだねるような助言や問題を投げかけて、 子供自身に考えさせて決断させる
- 言葉のトリックを利用して、子供の興味をひきつけること
- 親が子供にとってカリスマのような憧れや見本であり、子供が真似したいと自然と思える存在であること
すごく難易度が高いように思いますよね。いきなり出来るわけではもちろんありません。やはりこうなるために日々の気付き、そして勉強、実践というコツコツした努力が必要不可欠ですね。
志村けん、ビートたけしの共通点
このお二人から学んだ「教育」についての共通点は
「一つの形を見本として見せること。それは他人が求めているものだから、カリスマ性が生まれる。それを見た人は、マネしたり、解釈したりして、個をつくっていく。それは意識的な努力というより、自然な摂理。ただ、そこで人を絶えずひきつけるためには、ときに良い意味で予想を裏切ることが必要である」
ライブドアニュースより
さらに共通しているのは、良い意味での“裏切り”をあえて上手く活用しているということ。
ビートたけしさんの「真逆の言葉を2つ並べる」
志村けんさんの「ベタをやり続けてたまに裏切る」
この2つは良い意味での“裏切り”ではないかと思うのです。
もちろん、悪い意味での本当の裏切りはしてはいけません。信用を裏切るような行為は人を傷つけることしかなく、何もメリットがありません。
ここでいう“裏切り”とは、予想していなかったものを提供するということです。
予想をこえるものが突然くると、「え、どういうこと?」といったん思考が停止する。
そしてそれが気になり思わず追いかけてしまう。このちょっとした刺激が持続させる上では必要なものです。
家庭教育でも、親子関係でも、たまに良い意味での“裏切り”を加えることで、メリハリがついたり、そこからの信頼が生まれ、「すごいな!」と思わせることができる。
そうすると、さらにカリスマ性が増して、子供や親のことを尊敬し、マネするようになって、良い親子関係が築かれていくかもしれません。
なかなかハードルが高いですが、諦めてしまうより少しでも近づこうとする姿勢が何よりも大切ではないでしょうか。